月星座と太陽星座の物語~占星術の歴史をひもとくと……Part1~

更新日:2024年2月12日
公開日:2024年1月20日
 先日、「なぜ月星座について誰も教えてくれなかったのか」という問いに答えるためには、「占星術の歴史についてお話ししなければならない」とお伝えしたのを覚えていらっしゃるでしょうか?
 今回は、時計の針を逆回転させて「星占いの歴史」を紐解いてみようと思います。
目次

遠い昔の占星術

はるか昔の占星術

 もしもあなたがはるか昔に生きていて、占星術師に「私は何座ですか?」と尋ねたとしたら、太陽星座ではなく月星座を教えられたでしょう。
 たとえば、ローマ皇帝アウグストゥスは紀元前63年の9月23日生まれ――つまりてんびん座――ですが、彼を描いた硬貨の裏面に刻まれたのはやぎ座のモチーフでした。これは、当時の人々にとって月星座がいかに重要なものであったか(そして、それに比べて太陽星座は大きな意味を持っていたなかったか)をよく示しています。

誕生日を知らない!?

 とはいえ、いにしえの人々の誰もが月星座に親しみ、占星術を楽しんだのかというとそうではありません。高貴な人々の間でこそ占星術師が誕生に立ち会い、生まれた子の運命を占ってみせることが当たり前のように行われていましたが、その他の人々の中には、自分が何年に産まれたのか、ましてや何月に生まれたのかなどまったく知らない、という人が多くいたのです。
 もちろん、そういった人々も「誰が私の羊を盗んだのでしょう?」「外国に出かけていった息子の船は、無事に故郷に返ってきますか?」などの質問を占星術師に投げかけることはありました。そして、占星術師たちは見事に問いに答えてみせていました。が、占星術師は答えを導き出すのに質問者の生年月日を一切考慮していませんでした。彼らが気にしていたのは今天空にまたたく星や、過去や未来の星の運行だけであり、仮に他の誰かが同じタイミングで同じ質問を投げかけたなら、まったく同じ答えを返していたに違いないのです。

愛されたのは「シンプルな占い」

 こうした状況は、その後長く、2000年ほども続きました。
 特に英国占星術の誇り高き長い歴史においては、この考え方が完全に優勢でした。数多くの名建築を施工するにあたって占星術を利用したハドリアヌス帝から、離婚に際して占星術を頼ったヘンリー8世、そして宮廷の“数学者”ジョン・ディーの占星術に驚嘆したエリザベス1世に至るまで、彼らの「占い」は単純であり続けました。正確な出生日と出生時刻を知っている権力者たちでさえこのありさまだったのですから、そうではない人々が今日の占星術と同等の鑑定を享受できたわけがありません。ホロスコープすら用いず、ルーン占いを楽しんでいた人々も多かったようです。

ついに状況が変わります。でも……

 さて、英国においてこうした状況が一変したのは、1837年7月1日に「出生死亡登記法」が施行されて以降です。すべての人にこの世に生を受けた日を正確に届け出るよう義務付けたこの法令によって、個人的なホロスコープはもはや一部特権階級だけのものではなくなりました。占星術家たちはこぞって個人のホロスコープについての研究を始め、自分のホロスコープを鑑定してもらう習慣は、急速に人々の間に広まりました。しかし、この時点でもなお、ホロスコープでもっとも注目を集めていたのは月星座であり、太陽星座ではありませんでした。
 ――「そんなに浸透してたのに、なぜ月星座より太陽星座が人気に?」。あなたがそう思うのも無理はありません。ここまでの話を読む限り、太陽星座がつけいる隙なんてどこにもありませんよね。この先いったい何が起こったのか……その話は次回お話ししましょう。少し長くなってしまいましたし、太陽星座の「大逆転」をお伝えするのにはまだしばらくかかりますからね。
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